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やすら樹 NO.76

医療と内観 ―第10回―

  失語症家族

 

 前回は、紫陽花の花の色は育った土壌によって変わることを例えに、家族の大切さに触れました。今回はその続きです。


 A子さんは、女性のアルコール依存症です。外来通院や自助グループの断酒会にも参加して2年半近く断酒を続けていました。ところが、お盆に集まった高校の同級会に参加した際に、乾杯時にビールを口にしてしまいました。その後は、家族に隠れての飲酒が始まり、ついには職場でもアルコールを口にするようになり、ロッカーに隠していたウイスキーの瓶が見つかり長年務めた会社を辞めなければならなくなりました。ところが、1ヶ月先に息子の結婚式を控え、幸せを前にした相手のお嬢さんや息子にこの事実を知らせるのが不憫で、なんとか二人にわからないように治せないかと、A子さん夫婦がアルコール外来にやって来ました。


 この事態に対して、私はその夫婦に「あなたの家族は失語症家族ではないですか」と問題を投げかけました。この失語症家族という言葉は造語で、医学的にこの用語はありません。A子さんのお父さんが脳梗塞後に失語症になっていた為に、とっさにこの比喩の方がわかりやすいと思って使った経緯があります。


 失語症は、脳梗塞や脳出血、交通事故等で脳が損傷され、その障害場所が言語中枢といわれる場所に及んでいると出現します。症状は言葉の障害ですが、話す、聞く、読む、書くなどの機能が、障害された部位の違いによりいろいろ機能の障害を生じます。失語症は、舌や口唇の運動麻痺によりろれつが回らない状態と異なります。例えば、思うように話そうとすればかえって言葉は出ないのに、痛い注射でもされると無意識に「痛い」と言葉が出たりもします。他に、言葉は話す事ができても、話を聞いて理解することが出来ないという失語症もあります。 A子さん夫婦は、息子や嫁になる女性に対し、再飲酒の事実やA子さんの飲酒にまつわる気持ち、夫としての複雑な思いを伝える事は可能なはずです。息子さんも同じ屋根の下に住んでいて、薄々はお母さんの飲酒を知っているのかも知れません。この家族には、恥や嫌な事が発生した場合、相手の立場を配慮してという建前の元、「話さない」、「知らない」、「聞こえない」という誤った対処方法を利用しやすいのかもしれません。つまり家族間で言葉があっても、生きた対話がない、くさい物に蓋をする、そんな家族を失語症家族と称したのです。


 失語症からの回復に言語訓練が必要ですが、失語症家族にとっても同じ事が言えます。今までのコミニュケーション方法を捨て、新しい方法を身につける必要があります。その為には、家族間で大事な情報を隠すのではなく、良いこと悪いことも共有する必要があります。A子さん夫婦には息子とフィアンセに事実を伝える事を勧めました。更に、物事の捉え方もA子さん夫婦側からのみでなく、息子さんやフィアンセ側からの見方も大切であることを告げました。特に、フィアンセがこの事実を結婚してから知った時、嫁として知らせてもらえなかった悔しさや寂しさと同時に、臭い物は話さず知らずという失語症家族の一員に身を染めていくという二重の悲しさについても触れました。私は、内観体験夫婦であれば、単に情報の共有だけだなく共感を伴った言葉のやりとりがあり、失語症家族は卒業していると思っています。
 後日、A子さん夫婦が外来に現れ、「結婚前に事実を話して良かったです。無事に息子の結婚式をあげることができました。」、と報告を受けました。まさに、失語症家族からの回復の始まりを聞く思いでした。

Copyright(C) 2019 Hiroaki Yoshimoto

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