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アルコール関連障害障害 ―第20回―
エピローグ
今回で、この「アルコール関連問題障害」シリーズは最終回です。なるべく、わかりやすいように心がけたつもりですが、医療の世界に身を置くと、ユーザというか患者さんやその家族の方をいつも意識はしているつもりでも、ついつい独善的になりがちで、医師は注意が必要です。脱線しましたが、そうエピローグを書かなければならないのです。
アルコール依存症の治療に関わる一人として、私の周囲の状況をお話をしたいと思います。医療崩壊という言葉は、現在の地方で進行している状況がそうで、異論があるとしても、富山県という裏日本にいると、真実味を感じます。都会も例外ではなさそうで、大阪府において89歳の女性が救急搬送中に死亡したが、30以上の病院で受け入れを断られた事実が報道されていた。さらに、聞き取り調査を始めると報道されていたが、各施設に注意や指導を行政が行い一件落着になるでしょう。しかし、再び同じことが繰り返されることでしょう。医療崩壊は総合病院を中心に起こっている事実を示すものでしょう。富山県ではこのような事実が報道されたことがありません。基幹総合病院と言われる施設は何とか維持されているので表出されていないのですが、このまま崩壊が進めば富山県においても現実の話しになる可能性があります。象徴的な救急の医療現場だけでなく、他の医療部署で崩壊現象が起きているのも事実です。その一つに、アルコール医療があり、アルコール医療崩壊が残念ながら着実に深く潜行しながら進行していると言わざるを得ない気がします。
何故でしょうか。多因子でアルコール医療特有な原因と医療一般な原因が入り混じっているので結論を出せないとは思いますが、頭に浮かぶことから列挙してみたいと思います。エビデンスに基づいたものでないので、私の個人的感想になるかもしれませんが、統計資料も客観的なものと一般的に見なしますが、どこに着目して提示するかによって示すものが逆になることは良くあることで、エビデンス?と言われるものが絶対的でないことも留意すべきことと思います。
アルコ-ル専門医が全国的に少なくなっていると言われています。しかし、病院に行けば医師はいるし、どうしてそんな事を言われるのかと思われるかもしれないが、実態は医師の数はいても、中堅の専門医がいなくなるという空洞化現象を生じている点が問題です。原因として、病院から離れてクリニックを開業することが多くなった点を上げることができます。クリニックを開業する医師が増えているのは、大きな要因として病院勤務は激務で割りが合わないからです。勤務医とクリニックの医師との格差を示す言葉として「勤務時間は2倍、給与は半分」と勤務医は密かにささやいています。この言動にはエビデンスに基づいたものとは言えませんが、勤務医の激務改善が必要であると厚労省も認め、平成20年の診療報酬で医療クラーク導入が論議されていますので、まんざら嘘とも言えない点があります。現状では、医師の病院離れを押しとどめることは困難です。医療崩壊は公的、総合病院を中心の崩壊現象と言えます。
誤解していただくと困る点があります。医療崩壊はクリニックの医師が増加するのが問題点だと歪曲かするつもりはありません。クリニックの医師が増加することにより利点があるのも事実です。しかし、急速に公的病院からクリニックや民間病院に、地域から都会にと経済原理に従って医師の流動化が起きている点が問題なのです。国民の命を経済原理優先にした国の失政が厳しく問われるべきと思います。
次に、公に論議されることはありませんが、患者からの「不当な、理不尽な要求」が若い医師を中心に病院やアルコール医療現場から遠ざけていると思われます。例えば、私の勤務する富山市民病院精神科の例を取り上げてみます。元々居た5人の精神科の医師が3人に減少していますが、業務はほとんど変わらずにやっています。当然、各自の負担が多くなるのは自明の理です。そんな中で、県内で唯一のアルコール依存症回復プログラムを実施している当科に県内はもちろん、岐阜県や新潟県の一部からも患者さんが来ます。公的病院ですので他県や他市の患者さんだからと言って断ることができません。予約時間制度というのがあり、コンピューターの画面上から30分毎に患者予約を入れるのですが、10人入れれば計算上3分診療しないと待ち時間が生じます。しかし、15人をいれないと予約時間内に入れることができないこともあります。当然、予約時間は大幅に遅れることになります。患者からは予約を守らないと苦情を言われたり投書されたりします。大抵の方は事情がわかるので納得していたでけるのですが、一部の方から強く抗議されます。病院当局からは、予約時間を守るように要求されます。一方、新患患者や紹介患者は断るなとも言われます。矛盾を言うと、逆紹介するように言われます。アルコール依存症を扱う病院が県内にないので紹介するところはありません。これが、民間であれば新患を断ることもできるでしょうが、公的とつくと、「我々の税金で運営している」と言われ診療せざるをえません。今の例は理不尽とは言えなくて、患者の立場に立てば予約時間を提示されてそれが遅れれば文句の一つ言いたくなるのは当然ですし、その気持ちは良くわかります。では、次はどうでしょうか。酔っぱらって来た患者に対して「酔いを覚ましてから診察をします」と言ったら、「酔っぱらっていても病人だろう。肝臓も悪いし風邪も引いている。それを診ないのは何事だ。」と大声を出されました。皆さんは、どのように判断されるでしょうか。屁理屈としか言いようがありませんが、私は屁理屈と言いましたが、どれだけの医師がそうと言えるでしょうか。患者さんの機嫌を損なうと、次に待っているものがあります。「やぶ医者」などと言われるのは序の口ですが、こちらが相手の非を言えば院長や市長、新聞社への投書や抗議電話です。ある時に、「吉本医師は病院の出張旅費をもらいながら、〇〇学会の理事会などに出て二重、三重に出張費をもらっている」と投書されました。病院から出張費が出ていなかったのでそれは虚偽であることがわかりましたが、それで一件落着すれば問題がないのですが、そのあと、病院から白い目で見られ、市長への報告をしなければいけないからと言われ学会理事会に出ていた証拠などの提出を婉曲に求められたりします。虚偽の投書をした人の問題を問われることはなく、そんな投書をされる医師に問題があるように見られ、忙しい中で益々時間を割かれます。このようなリスクはアルコール医療にたずさわるとさらに多くなります。若い医師はアルコ-ル医療に興味を持ちますが、こんな状況を見てアルコール医療から遠ざかっていくのが現状です。
医療はサービス産業的要素がありますが、決してサービス産業ではないと思います。何故ならば、サービス産業は対価を払ってサービスを提供するという顧客との対等な関係で成り立っています。医療はお金を払わなくても治療する義務が医療側にあります。実際に救急に、偽名を使って治療を受けて平気な人も少なくありません。現状は、国民は医療をサービス産業と考えながら、サービス産業への対価を払う十分な義務を果たしていません。サービス産業的部分をより求めるなら総医療費をアップする必要があります。平成19年秋にオーストラリアに精神科医療の視察に行ってきましたが、公的医療は無料でした。しかし、それは最低限を保証するものであって満足が得れる保証ではありません。命にかかわらない手術であれば半年でも待たされたりもしますし、医師を選ぶことができません。選びたいのであれば、それなりの費用を支払う必要があります。日本のいつでも、だれでも、どこでも一部の負担で必要な医療を受けられる全世界に誇れた国民皆保険制度を維持していくには、国民が費用負担という痛みが必要であることを自覚し、それが嫌であるのであれば、まず理不尽な要求は医療側が拒否できるようなコンセンサスを得る必要があります。
次に、アルコール入院医療に対する十分な対価が支払われていない現状があります。しっかりとしたアルコール依存症社会復帰プログラムを行おうとすれば、多職種の協力や多くの治療時間も要します。しかし、今の医療制度では短時間であろうが長時間を要しようが時間軸に基ずく評価による診療報酬はほとんどありません。医師の熱意だけでは限界があります。前に触れましたように富山県では昔はアルコール依存症の治療にたずさわっていた病院が幾つもありましたが、現在は私が働く病院だけになっている事実がそれを示しています。全国でアルコール医療を導入する医療機関は、アルコールデイケアを持つ機関を除いて減ることが自明です。
残念ながら、混沌した医療保健福祉の状況において、医療改革にはすぐれた見識のある政治家の出現を待つしかないような気がする。その点では、イギリスはやはり一歩進んでいるように思う。鉄の女サーチャーが医療面で大ナタを振るい財政赤字を克服し経済の立て直しを図ったが、一方、医療・教育予算の抑制をはかったために、医療崩壊や教育の荒廃をもたらしたと言われている。しかし、労働党トニー・ブレアになって、「第三の道」を掲げて福祉・教育予算を拡充し医療や教育の立て直しを目指した点がある。このように、二大政党により切磋琢磨されている点がうらやましい。長所と短所はコインの裏表の関係にあると思われ、小泉改革の素晴らしい点もあったが、医療に関しては崩壊したのであるから、立て直しにかかる時期である。ところが、現状はどうであろうか。皆様の判断にまかせたい。
富山県に「このままでは、国民の命や健康を守ることができない!」と民主党から立候補した森田たかしという医師・政治家がいる。若いジェネレーションの政治家であるが、保守王国の富山県で民主党の議員公募で合格し、参議院選で見事に当選した。トニー・ブレアのような大きな政治家になってほしいものである。
最後は、まとまりのないエピローグとなってしまった。気持ちがほとばしるが、筆が進まず、趣旨が一貫していない。しかし、それが今の私の気持ちを表していると思い、訂正しなかった。最後まで読んでいただいた読者に感謝をしたい。
前回は、少し難しい話となりましたが、今回は内容はわかりやすいですが、ではそれでどうなんだと言われると、なかなか困る話になるかもしれません。
偏見という用語をフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」で調べると、「偏った見方のことで、人間は、ある対象に対して、その見かけや所属などに関する一部だけの知識、あるいは自己と自己の属する社会、宗教、文化などに特有の価値観を基準としてその対象を判断する傾向があり、その傾向によって生み出される思考が偏見である。」としている。
確かに、アルコール依存症(以下、ア症)に対する日本人の偏見や誤解が存在しているのは確かで、「アル中」という用語に集約されるかもしれない。駅や公園で酔っぱらって寝ている人、酔って暴れたりDVする人、仕事もせずに家族に迷惑をかける人など、良くないイメージが定着している。この偏見がこの病気に認める否認を生みだし、早期発見・早期治療を遅らせている。しかしながら、第1回から第18回まで通読された方は、偏った知識でこの病気を判断されることが少なくなり従来のア症に対するイメージが変わり、アルコール依存症をきちんと病気として考えることができ、この病気に対する偏見が少なくなると信じている。
この点について、最近に朗報がある。「ヒゲの殿下」として国民に親しまれている三笠宮寛仁(ともひと)殿下が、この病気に罹って入院治療を行っていることを発表された。「本人の意向を踏まえての発表」(宮内庁)ということで、殿下の勇気に拍手を送りたい一人である。たまたま、週刊文春の記者に殿下の病気についてのコメントを求められたことがあるので、その一文を載せておく。週刊文春7月5日号で「寛仁親王は焼酎梅入りがお好き」に、「治療は酒を抜くことから始まり、体と脳の回復を目指します。入院となれば三カ月程度が一般的です。寛仁さまの場合、ご自身で病名の公表を望まれたとのことですから、動機がお強いという意味で治療にはプラスでしょう。ストレスが多い著名人の方にはアルコール依存症になられる方がおられますが、偏見を恐れて隠してしまう。殿下の今回の公表は、同じ症状を抱える患者の励みになります」と私はコメントした。これを機会に、病気に対する偏見が薄れ、社会の理解が深まることを期待したい。
それにつけても、私が医師になってまもなく、大正 7(1918)年に出版された呉秀三と樫田五郎による「精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察」の復刻版を読んだ時の記憶が蘇る。特に、「我邦十何万、精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ。」の箇所である。つまり、日本の精神障害者はこの病気になった不幸に加えてこの国に生まれたという二重の不幸を背負っているという一文で、呉秀三は座敷牢に入れられ治療を受けていない現状を嘆き、医療や福祉的施策の必要性を著書の中で訴えている。ア症になっても、日本という国に生まれて本当に良かったと言える国になってほしいものである。
次回は、第二十回「エピローグ」を述べたいと思います。
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